昭和40年代 都電 「父の撮った写真 No2」 [昭和の写真]
2007年の記事
昭和47年11月 都電は三ノ輪橋から早稲田までの間を運行している荒川線を残して廃止された。
↓東京都江東区 昭和40年頃 錦糸町?
都電の痕跡を探して、錦糸町から 亀戸 大島 北砂 辺りを散策した。
さすがに 錦糸町駅前には都電の痕跡らしき物は見当たらなかった。
北砂7丁目のおばさんの家に行った子供の頃の記憶を辿って歩いてみた、このルートを通るのは約35年ぶりです。
都電の軌道が 亀戸緑道公園 大島緑道公園 となって残されていた、道幅が意外と狭い様な気がした。
↑の写真がどこの橋かどうか判りませんが都電が橋を渡るとき水面が真下に見え怖かった記憶が有ります。
竪川人道橋に都電のレールがそのまま残されていました。
川は埋めたれられ公園にかわり、水路が残されていました。
夏の花が咲いていた。 [昭和の写真]
ムクゲの花は色っぽい、
日差しにその衣装が透けて見える、
とても恥ずかしくて正面から見られない。
東京都調布市 神代植物公園
古い写真を見ていたら、
父の二十歳の頃の写真と芝浦岸壁より輸送船に乗船した思い出を綴った短い文章が出てきた。
芝浦岸壁より輸送船に乗船する、父や妹達家族に見送られる多くの初年兵もそうであった。
船は岸壁を離れる、 戦友一同は甲板に上がりて離れる陸地をみる。
その中の一人が「ああ堂々の輸送船さらば祖国よ栄あれ...」と歌いだす、
その声に合せて合唱しだす、みんな泣いていた。
(↑四行 父の文章)
父は戦争にについて 私には何も語ってくれなかった。
現在の芝浦は開発が進み古びた船着場が高層ビルに囲まれている。
バブル全盛期にはジュリアナ東京という女性が過激なファションで踊るディスコが有ったらしい、行きたかった。
小さなハゼが湧いていた。
モノレールが頭上を通るたび空気が揺れた。
晩年 父は、歌手の瀬川瑛子さんが好きで追っかけをやっていた、
冬の寒い日 テレビ局の玄関で彼女が出てくるのを待続け倒れてしまい、
テレビ局の守衛さんから電話が掛かって来たことも有った。
神代植物公園にもよく出掛け 写真を撮っていた。
夏の花が咲いていた。
東京の空はいつになく澄んでいた。